怪奇大作戦(特撮トリックのやり方を視聴者に当てさせる企画をやっていた) 「怪奇大作戦」が放映開始された1968(昭和43)年9月、私は5歳でした。 毎週、日曜夜7時から母と一緒に見ていたのを覚えています。 当時、弟は3歳でしたが、一緒に見ていた覚えがありません。 まだ幼かったから寝ていたのでしょうか。 父と見た覚えもありません。 日曜なのに出かけていたのでしょうか。 単に私が忘れているだけかもしれません。 さて、この「怪奇大作戦」で、 「トリックを当ててください」 という企画がされていたのを
「怪奇大作戦」が放映開始された1968(昭和43)年9月、私は5歳でした。
毎週、日曜夜7時から母と一緒に見ていたのを覚えています。
当時、弟は3歳でしたが、一緒に見ていた覚えがありません。
まだ幼かったから寝ていたのでしょうか。
父と見た覚えもありません。
日曜なのに出かけていたのでしょうか。
単に私が忘れているだけかもしれません。
さて、この「怪奇大作戦」で、
「トリックを当ててください」
という企画がされていたのを覚えています。
どういう撮影、合成で、番組中の特撮シーンが作られたのか、視聴者に考えさせ、それを書いて送ってもらうといった企画だったのではなかったかと思います。
それを見て、私は5歳なりにトリックを考えてみました。
「壁抜け男は、箱に入っていっているに違いない」
とか。
ただ、箱に入っていったとしても、そのままでは壁に入っていっているようには見えませんから、何らかのトリックがされているはずです。
でも、
「それはテレビ局の特殊な機械を使ってやっているに違いない」
と5歳なりに分かっていて、テレビ局の特殊な機械を知らないこちらとしては、それ以上、説明のしようが無いよなあとも思っていました。
翌週の放送を見ると、番組の最後に、けっこう時間をかけて細かく特撮の手順が説明されていました。
でも、この順番どおりにやっても、普通の人には「怪奇大作戦」みたいな番組は作れないでしょう――とも5歳なりに思っていました。
やっぱり、「テレビ局の特殊な機械」が無けりゃ――というわけです。
エンディングの歌も、5歳なりに耳で覚えていました。
SRIのところを、いつも
「えっさーらあい、えっさーあらーい」
と5歳なりに歌っていました。
「えっさーらい」が、SRIのことと知ったのは、小学生になってからだったと思います。